淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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There's more than one way to do it

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 ……ここはどこだろう…町の郊外……夜…夜の道……肌寒い夜の道………人影もまばら…………

 ………私はいったい……………何かを思い出そうとする…何かを思い出したような気がする……私は私だ…………

 なんだか、ぼうっとしていたようだ。家への帰り道、いつもの道。中産階級の家々、等間隔の街灯、町の掲示板。静かだ。

 だんだん意識がはっきりしてくる。酔っ払っているのか、私は。頭が少しズキズキするような気がする。今日はどこで飲んだのだろうか。世界がゆらゆら揺らめく。風が冷たい。

 前方から白いカローラが走ってくる。ヘッドライトに目が眩む。車は後ろの交差点で左に曲がって消えた。時刻は今、二時五分前。

 少し歩くと右手に公園がある。こんなところに公園があったんだ。初めて気がついたような気がした。どこにでもあるような公園だ。どこかで見たことがあるような……そんな公園だ。子供のころ?最近、どこかで?それとも夢の中…………

 公園の手前の街灯が、ひとつだけ点滅している。それを見ていると、なんだかそれにあわせて私の頭の中でも明かりが点滅しているような気分になる。その光が私の頭がい骨の内側を乱反射する……私の内部が明るくなったり暗くなったりする……すべては単なる明滅となる…………

 ここはどこだ?公園の中だ。私は街灯の下に行くつもりだったのだが、いつの間にか公園に足を踏み入れてしまっていた。街頭の光が四方八方から浴びせかけられて、こんなに明るくてはいくら晴れていたって星も見えないだろう。夜空は空っぽだ。目の前に金属製のゴミ箱がある。中をのぞく。ゴミ、ゴミ、ゴミだ。当たり前だ、ゴミ箱だもの。何をしてるんだろう、こんなところで。帰らなければ。振り返ろうとした。

 ドガッと鈍い音がして、頭部に強い衝撃を受けた。一瞬、気が遠くなる。

 後ろを振り返ると、男が手に棒のようなものを持っている……追い討ちをかけようとしている……組み合いになる…棒を持った手が振り上げられ、振り下ろされる……頭の皮膚の上を、生暖かい液体が流れる……三発目はもう何も感じない…………

 薄暗くなる意識の中で、相手の顔を見る……どこかで見たことのある顔……意識の奥底にある……何かを思い出そうとする…何かを思い出したような気がする…………お前は私だ…………

 ……景色が暗くなる……闇に包まれていく……明滅する街灯……私は誰だ……何も思い出せない……これから死のうというのに、何一つ思い出せない……明滅する街灯……何も考えられなくなっていく……初めて恐怖を感じるのだがすでに……無……空白……………………‥‥‥‥‥・・・・ ・ ・ 

 

 

 

 目覚めは突然やってきた。

 身を起こし、周りを見渡す。いつもの部屋、しかし空気というか、空間が緊張している。いや、いつもと違うのは私のほうだ。恐怖の余韻。

 起きて、洗面台にいく。鏡に映る自分の顔、いつもの顔。しかし、それはまぎれもなく、先ほどの夢で自分を殺した男の顔。

 時計を見る。一時三十分。

 寝よう。

 確かにそういったつもりだった。実際に声にも出したはずだ。しかし体は反対に、顔を洗って、服を着替え始めていた。

 寝なければ……寝られないならば、目覚めなければ……そうだ、これは夢の続きかもしれないのだ…………

 ………ここはどこだ……郊外……どうやら走っているようだ………風景が後ろに過ぎてゆく……冷たい空気が首筋を切る……足音が夜に響く…………

 ……止まりたい……止めてくれ…………

 止まってくれ!

 ………息が苦しい……膝に手をつく……止まった………

 …………風景がぼやけている……これは夢だ……悪い夢だ……きっとそうだ……そうに違いない…………

 空を見上げる……星のない空……海のそこにいるようだ………夜が私を押しつぶそうとしている…………街灯だけが、夜のスクリーンに私を浮かび上がらせる……私を中心に影が六つの方向に映し出される……海底よりも深き夜の底…………

 私は歩き出す。真っ白なカローラが、前の交差点の左側から現れ、左折して後姿を見せながら走り去る。私もそこで左に曲がるのだ。中産階級の家々、等間隔の街灯、町の掲示板。見覚えのある道……初めて通る道。家々が私を異邦人を見るような目で見ている。公園が見え始める。街灯が点滅している。あの時と同じだ。まぶたの裏に焼きついている。しかしあの時とはどの時だ。二時少し前。

 彼がいるはずがない…あれは夢に過ぎないのだ。しかし、その公園の中には、名前も知らない彼が、一人でたたずんでいるのだった。

 私は公園の柵の一本抜けていた棒をつかんで歩いていった。もう何も考えていない。これが終われば悪い夢から抜け出せる。私は夢の中の私を殺せばよい。

 男の名を思い出そうとするが、できない。

 後ろに立っても、彼はまだ気がついていない。そのことを私は知っている。

 私は腕を振り上げて、相手の後頭部を思い切り殴る……相手が振り返って、組み合いになる……シナリオ通り……二回三回と追い討ちする……次第に彼の目が何も捉えなくなる……彼は死んだ…………

 彼は目を見開いたまま、驚愕の顔のまま、死んでいた。私もこんな顔をして死んだのだろう、あの夢の中で。

 静かな夜、私の呼吸の音だけが聞こえる。息が上がっている。汗も多少かいているようだ。私は改めて、私を包む空気の肌寒さに気づく。

 この夜は、まぎれもなくあの夜だ。しかし、もう夢は終わってしまったのだろうか?

 夜の果てのほうから、雪が降ってきた。私はマリンスノーかと思った。綺麗だった。

 

 

 

 ・ ・ ・・・‥‥………?……?……!……ここは……どこだ…………気持ち悪い……………ここはどこだ?……………鏡……俺の顔………ああ……トイレ…トイレの手洗い場だ………………?…口の中が酸っぱい…………これ、俺が吐いたのか…………流しておこう……キュッキュ……水が流れる………台のそこにある穴に、全部流れていく………ゴボゴボ音を立てて……ゴボゴボ……ゴボゴボ………………………鏡に映った俺の顔…………俺の顔……俺、こんな顔だったっけな…………青白い、不健康そうな顔………あんまりにも真っ白な蛍光灯の光……………ゴボゴボ…………………ジャブジャブ………足音?…………近づいてくる……水溜りの中を……走っている……雨が降っているんだろう…………そういえば俺も傘を持っている………途中から歩きに変わる…………トイレの中に入ってくる………顔を上げる……鏡を見る……誰かが入ってくる……………………鏡に顔が映る……目が合う……ずぶぬれだ………見覚えのない顔……当たり前だ………だが、俺の顔を見ている…………何かを思い出そうとしているかのような顔…………何かを思い出そうとする…………何かを思い出したような気がする……でも何を?……昔のこと?……最近のこと……夢のこと?………男の右手に包丁が光る…………ああ、そうか…………何かを思い出したような気がした………でもなにを?……次は俺の番だったか…………次?……番?……何のことだ?……明滅する街灯……雪…………あれは夢だろう……俺がやったんじゃない……………後ろを振り返る……傘を持って振り回そうとする…包丁が胸に突き立てられる…真っ赤な血が吹き出る……もんどりうって、洗面台に顔を突っ込む…………水が流れている……………口から流れ出た血が薄く混じる…………台のそこの穴に、全部流れていく………ゴボゴボ音を立てて………………………ゴボゴボ…………………ゴボゴボ……‥‥‥ゴボゴボ‥‥‥‥ゴボ・・・ ・ ・ ・ ・・・ゴボ‥‥‥‥‥ゴボゴボ‥‥………………ゴボゴボ…………ゴボゴボ…………雨の水が流れている…………アスファルトの上にたまった雨水は、ゴボゴボ音を立てながら、溝に飲み込まれる…………ここはどこだ…………知らない町………どうやら歩いているようだ……雨の中……傘も差さずに……ずぶぬれだ…………………どこへ?………夢を見ていた?…………殺される夢?………どこへ行くのだろう?……とりあえず、止まろう………体の動かし方がわからない……止まれ、と念じてみても、止まらない……それはそうだ………念じてみても仕方がない……ただ、思い出せばよいのだ……………立ち止まる……………雨水がゴボゴボいいながら流れている………ここはどこだ…………公園………街灯がひとつだけ消えている…………ベンチ………ゴミ箱……公衆トイレ……そうだ、思い出した……………思い出せばいいのだ………………水溜りの中を、ジャブジャブ音を立てながら走る……………男子用の入り口の前から歩きに変える…………呼吸を整える………あんまりにも真っ白な蛍光灯の光………光の中に入る…………大丈夫、思い出した…………この光………鏡に映った顔………包丁を持った男…………覚えている………中に入ると、まず、鏡に映った二つの顔が目に入る………どっちが俺だ?………手洗い場に突っ伏している男と目が合う………青白い、不健康そうな顔………俺、こんな顔だったかな………対して、包丁を持った男は、ずぶぬれで、表情がよくわからない…………でもいいのだ………やることはわかっている……目の前の男が、振り返って傘を振り回そうとする…………こっちは気がつかなかったが、ずっと持っていたのであろう包丁を、相手の胸につきたてる…………血が吹き出る………男はもんどりうって、洗面台に顔を突っ込んだ…………口から流れ出た血が薄く混じる…………台のそこの穴に、全部流れていく………ゴボゴボ音を立てて………………………ゴボゴボ………………ゴボゴボ……‥‥‥ゴボゴボ‥‥‥‥‥‥ここは‥‥‥どこだ‥‥‥・・・・・ ・ ・ ・ ・  

 

 

 

 誰かにつけられている。そんな気がする。でも、振り返っても誰もいない。気のせいかな。だといいんだけど。

 小さいころから、何かに追いかけられる夢をよく見たような気がする。笑う月、無人の車、ライオン、とか。つかまったことはない。その前に目が覚める。友達に話したら、心理ゲームに凝っている子がいて、強姦願望の現われだ、なんてそれっぽいことを言っていたっけ。だけどこの前、追いかける夢を見たような気がする。夢の中ではあたしは男で………それでなんだっけ。

 もう一度後ろを振り返る。だれもいない、よね。走ってみる。けれど、人の気配は消えない。息が切れてきた。

 今日は月夜だし、もともとそんなに暗い場所じゃないけど、やっぱりこんな夜中に、女の一人歩きは怖い。何回でも、辺りを見回す。誰かが見ていたら、よっぽどあたしのほうが怪しく見えそうだ。

 家が見えた。少しだけほっとする。安アパート一人暮らし。帰ったらすぐ鍵閉めなきゃ。まさかのまさか。ストーキングされるほどの美人だとも思わないけど。でも、念のため。

 向こうにコンビニが見える。その手前に、つぶれかけの酒屋もあるけど、もう閉まってる。

 そうだ、夢の話だった。夢の中で、あたしは男で、誰かを追っている。女の人?顔見知りの人だっけ?違う。追いかけて、待ち伏せて、それから……

 階段を上る。一階、二階、三階。三階の五つのドアの左から三番目。鍵をガチャガチャ言わせる。

 変な夢。だけど、すごくリアルだった。あれが夢なら、今だって夢なのかも。もしかしたら、今あたしはベッドの中にいて、しかもぜんぜん違う人になっていて………

 鍵を開けドアが開く。中に入ろうとする。でも……何かに気づく………誰かいる。

 後ろを振り返る。夜の夜景。見慣れた筈の夜景。でも、いつもと違って見える。夜景なんか見ている場合じゃないのに。遠くのほうに、住宅街の中にぽっかりと家のない空間がある。公園だ。周囲を等間隔に街灯に囲まれ、誰もいないのにライトアップされている。何事もない平和な公園。満月が空の中ほどまで上がっている。

 何かを思い出そうとする。何かを思い出したような気がする。でも何を?夢の中の話?また夢の話だ。

 物音がした。自分の来たほうの反対側の通路。柱の影、プラタナスの植木がおいてある、その後ろ。何かが動いた。月の光に照らし出されたのは、見知らぬ男の姿。

 喉が引きつり、一瞬声が出なくなる。男が先に動く。青白い顔。悲鳴を上げながら、部屋の中に飛び込もうとした途端、男が襲い掛かってきた。両手で首を絞められて、押し倒される。息ができない。男の涎が、顔の上に垂れる。

 男の顔……見たことのない顔………でも……記憶の奥底のどこか……意識が遠のく……視界が暗くなる………月や星……町の明かりがいっせいに消えていく…………

 ………思い出さなきゃ………思い出さなきゃいけないことがあるのに…………何かを思い出そうとする………何かを思い出したような気がする…………でも何を?………夢の中の話?……また夢の話?………これは夢?……………‥‥‥それとも‥‥‥‥・・・・・・ ・ ・ ・    

 

 

 

 聞いたのは風の音か?

 今見ているのは、空の星だろうか?

 いや違う……………夜景だ。

 この夜景を、見たことがある?どこで?今さっき?どこかのアパートから?

 まさか。ようやく残業が終わって、家に帰る途中じゃないか。さっきまで、ビルの中だ。そこからの夜景だったら見ているが。

 夢でも見ていたのか?それもありえない。どこにも記憶のない時間帯なんてない。ずっと頭ははっきりしていたはずだ。じゃあ、この記憶は何なのだろうか。

 ああ、思い出した。確か、ずっと前に見た夢だ。それが、脳は記憶の処理ミスをやらかして、ついさっきのことと勘違いしたのだろう。

 じゃあ………何で俺は、あの女の後をつけているんだろうか。見知らぬ女の後なんかを……

 何かを思い出そうとする。何かを思い出したような気がする。でも、何を?あの、夢のことか?

 この場所は少し丘になっているので、町の夜景が見える。まぶたの裏に焼き付けられた夜景。遠くに公園が見える。周囲を街灯に囲まれている。これも見た?自分の記憶?それとも夢の中か?でも角度が違うような。それに夢の中で見たときには、街灯が一個切れかけていた……それとも切れていたっけ………あれっ、それは違う夢だろうか…………

 夢の中で………夢の中の夢の中で………何重にも重なった夢の中で…………

 女は時々振り返る。見つからないように、後をつける。いったい何のために?わからない………いや違う……俺はそれを知っている?俺が何をしようとしているかを、俺は知っている?

 静かだ。まるで夢のようだ。世界にたった二人しかいないようだ。追うものと追われるもの、夢見るものと夢見られるもの、この奇妙にゆがんだ寝惚けた世界にただ二人。

 光と影。電灯。陰に沈んでゆく。大きな穴が開いているような影。空の中ほどまで上がった満月。先回りしなければ。走り始める。道を知っているのか?知らないはずだ。いや、知っているはずだ。もう知らない振りをするのはやめろ。

 コンビニの光が見える。閉じた酒屋のシャッター。アパートの右側の階段。自分の影が足元で実体を追いかけて、明かりの下で追いつき、追い越して薄れる。一階、二階、三階。二回と三階の間の踊り場で、少し呼吸を整える。蛍光灯が切れかけている。チカッチカッ、と点滅している。それを見つめていると、頭の中を空っぽにできた。消えかかる光、群がる蛾。

 三階の右から二番目。足音を殺して、ゆっくり歩く。柱の影、プラタナスの後ろに身を隠す。

 女を待つ。足音。上ってくる。歩いてくる。ガチャガチャと鍵を鳴らす。ドアを開ける。柱の影から女を見る。女は振り返って、一瞬夜景に目を取られる。俺も夜景をチラッと見る。一瞬のことだ。だが、その一瞬の間、二人とも同じ夜景を見ている。

 これから何が起こるか、俺は知っている。自分がどういう風にあの女を殺すか、あの女が、今何を考えているかも。あの女ももちろん知っているはずだ。忘れているだけなのだ。死んで、夢から覚めて、ようやく思い出すのだ。

 女の顔が月の光に照らされる。風が吹いて、女の髪を乱す。

 この風は夢の中でもふいただろうか。おそらく、緊張していて気がつかなかったんだろう。

 そうだ、この女は俺なのだ。かって俺はこの女だったのだ。すべてすでに夢見られたこと、決まったことだ。すべてのものは誰かの夢、この夜景も、あの月も…………

 女はこちらを向いた。どうやら時が来たようだ。同じだ。すべて同じだ。

 女に飛び掛り、首を絞める………力はこっちのほうが上………押し倒して、上に乗りかかる………女の細い首……力いっぱい締め付ける……女の目……目と目が合う…………声も出ないようだ………涎が垂れる………女の顔が変色していく……………

 …………これでいい…………これでいいんだ…………俺は知っている………お前も知っているのだろう………俺はお前だ………何も間違っちゃいない……………………

 (本当にこれでいいのか)

 黒目がぐりんと回って、女は白目をむく。

 (本当にその女はお前が夢に見た女か。お前はただ来るって人を殺しただけではないのか。その女はお前なんか知らない)

 ぽかんと開いた口から、舌がダランと垂れ下がった。

 (お前は夢を見ているんだよ)

 では……これも夢?………それじゃあ、俺は人を殺したのか、それとも夢の中で殺したに過ぎないのか……………これはこの女の夢?…………こいつは夢から覚めると俺を殺しに来る…………俺がこの夢から覚めると……こいつに殺される?…………

 ……女の体は少しずつ、冷たくなっていく………これは現実なのか………夢なのか………夢はもう終わってしまったのか………じゃあ、何で俺は消えてしまわないのか…………俺は怖くなって逃げ出した…………

 ……………ここはどこだ……………走ってる?……………帰り道…………でもなんの?……………誰かに後をつけられている…………振り返っても誰もいない…………ここはどこ?…………俺はは……あれっ……私は…………何かを思い出そうとする………何かを思い出したような気がする………………あたしはあたしだ………………

 

 

 

 ・ ・ ・ ・・・・・‥‥‥‥…………光………闇……………夜………………海の底……………明滅する明かり…………ゴボ……ゴボゴボ………泡………現れては…………消える……………ここは……………どこだ……………何かを…………思い出そうとする……………思い…………出したような気がする……………………私は……俺は…………あたしは…………誰だ………………………久遠……永遠……永久……永劫………………………一瞬………どんな言葉で言えるだろう…………いつからこうなのかを………………ここには時間がない……………………ねじれ………たゆたい………枝分かれし………渦巻きながら逆流するものを…………時間と呼べるだろうか…………………………………………ここは………どこ…………これは夢……………誰の?………私?……あなた?………夢見ているのは誰?………夢見られているのは誰?………因果と縁起の鎖の中で……混沌と虚無の羊水の中で……………………………無限増殖するエピメニデス……うそつきクレタ人のラビリンス………永劫回帰の黒い罠……のたうつウロボロス……………………………………私は…………だれ?……………あなたは……………だれ?…………ゴボ‥‥‥‥‥・ゴボゴボ・・・・・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・     

 

 

 

 ………ここは……どこだ…………歩いている…………どこへ行く…………立ち止まる…………見知らぬ土地………いや、前に来たことがある?…………わからない…………頭がボーっとしている…………

 …………ふらふら歩き出す………人影はない…………夜だからか…………家の明かりも、みんな消えている………月も出ていない……………まばらな電灯と月だけ………人の気配がまったくない………………

 歩いていくと、ひとつだけ、明かりのついた家がある。あそこだ、私のいくところは。

 今日はやけに星がよく見える。郊外といっても、こう見える日は少ないだろう。海の底のように黒いカーテンが宝石をちりばめて夜空にかかっている。

 家の門から、明かりのともった二階の部屋を見上げる。屋根の上にはシリウスが輝いている。一階は真っ暗だ。暖かそうな明かり。あの部屋には何があるのだろうか。

 門を開ける。ドアから入る。鍵はかかっていなかった。家の中がどうなっているのかを、私はなぜか知っていた。まるで自分の家のように。

 台所で、包丁を一本借りて、階段を上っていく。自分の足音、心臓の音。ドアから光が漏れている。この向こうにあいつが、私が待っているのだ。夢の中の私が。私がここにいる理由を私は知っている。あいつも知っている。そのことを私は知っている。ドアから光が漏れている。

 右手にナイフを持ち、左の人差し指を少し切る。赤い血が流れる。痛い。

 そうだ、夢の中だからこそ、痛いのだ。

 笑いたくなった。それとも笑ってしまったのだろうか。私の笑い声がお前にも聞こえただろうか。私である、お前よ。

 ドアを開く。光、光、光。まぶしい。右手を振りかぶる。そして、

 

 

 

 目が覚めた。服は汗でびっしょりだ。何か叫んでしまったかもしれない。

 部屋を見回した。夜空色の部屋。それは単に暗いからだ。

 電気をつけた。鏡を見なければ、と思った。返り血を浴びているのでは、と不安になったからだ。

 いすに座った。そうだ、電気はつけっぱなしにしておかなければ。あいつのために。

 もうすぐあいつが来る、私を殺しに。どうして、自分が殺されるのを、知っているのだろうか。それは覚えているからだ。でも、いったい何を?

 窓から、夜空を見上げる。いつもよりも、星が見えるようだ。ただ、方角の加減でシリウスは見えない。すこし残念だ。

 恐怖はない。それとも、ありすぎて麻痺してしまったのか。夢だから怖くないのか。

 死ぬ前なのに走馬灯のように思い出が駆け巡ることもない。夢だからか。

 時が止まってしまったように、時が流れていた。壁が鳴り出した。呼吸音、脈動の音、風の音、門が開く音、誰かが入ってきた音、そして足音。ギシッ

 階段を上ってくる。夢にまで見たあいつ。私を殺しに。あいつは誰を殺すのか知っているのだろうか。私は誰に殺されるか知っているのだろうか。ギシッ

 自分が自分を殺す……自分に自分が殺される…………自分が……自分に……自分の自分……自分ではない自分……それは自分なのか…………ギシッ

 階段を上ってくるものは何だ。死か、生か。私か、お前なのか。ギシッ

 ドアの向こう側は闇。闇は漏れては来ない。闇はこの世界のカンバスだ。光は闇の表面をなぞるだけ。それ以外はすべて闇。この世を少しめくればいつも闇。ギシッ

 なぜ、最初に「光あれ」というのか。それ以前はすべてが闇だったから。それとも今だって、すべては闇なのか。ギシッ

 ドアの向こうにあいつが立っている。こっちを見ている。

 笑いたくなった。それとも笑ってしまったのだろうか。私がか?それともお前がか?ガチャッ

 さあ、入って来い。

 ドアが勢いよく開いて、あいつが入ってきた。右手に包丁を持ち、勢いよく振りかぶる。私は何の抵抗もしない。刃が私の胸に深くつきたてられる。目が一瞬合った。

 血が吹き出た。真っ赤な血が。勢いで椅子から転び落ち、床に投げ出される。背中の下に血だまりができていく。白い天井が見える。男が、私を見下ろしている。

 さっきの夢はここまでだ。もう、夢か現実化なんて考える気はない。おそらく夢が覚めれば、私はこの男になって、そしてこの男の夢を見ていた私を殺すのだ。そして夢の円環は無限に続き、ほかの夢の円環と鎖のように連なっているのだ。さらに、それもまた無限に続くのだろう。きっと私は今までにも、いろいろな人間になったのであり、これからもなるのであろう。そのときには、いつか見た光景をはじめて見るのだろうし、今考えているようなことを初めて考えるのだろう。

 というようなことを、白い天井を見ながら考えていた。しかし、そのときにはすでに、そんな天井はどこにもなかった。ここは……………どこだろう………………

 …………そうか…………すこし、わかった…………ようやく……すこしわかった………ようやく………思い出した…………………必死に、思い出そうとしていたが……………思い出すことなど何もなかったのだ…………………そういうことか…………もういいんだ……………すべては夢なんだ……………………‥‥‥泡‥‥‥明滅する明かり‥‥‥‥光‥‥‥‥‥闇‥‥‥‥ゴボ‥‥‥ゴボゴボ‥‥‥・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  ・  ・  ・    ・    ・

解説

名大文芸サークル第四回サークル賞(2015/03)に参加し見事落選し、2005年の名大文芸サークル部誌泡(vol.3)に収録するはずが、当時のサークル代表の手違いで、載らなかった不遇の作品。

元ネタは『エンデのメモ箱』にあるちょっとしたアイディアで、高校時代から暖めていたんだったと思う。

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