淡中 圏の脳髄(永遠に工事中)

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In the long run, we are all dead

小学生作文コンテスト テーマ「家族」優秀賞 『ぼくのおじいちゃん』

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小学生作文コンテスト テーマ「家族」優秀賞 『ぼくのおじいちゃん』

  ぼくのおじいちゃん

  4年2組 吉田聖馬

 

 ぼくのおじいちゃんの家はとっても遠いです。あんまりにも遠いので、飛行機をおりて、さらに車で一日くらいかかります。なのであまり行けませんが、かならず一年に一回は行っています。

 おじいちゃんの村へ行く道は、ぼくが学校へ行く道とはぜんぜん違うので、いつも車の窓から見ています。お父さんは「そんなものを見ててもおもしろくないだろ」といいますがそんなことありません。たしかにずっと見ていてもあんまり変わらないので、そのうちつまらなくなってしまいますが、それでもときどき窓から外を見るといつの間にかかんじが変わっていて、びっくりするのです。

 さいしょは町だったのが、そのうちにぽつぽつ生えてる木だけになり、さいごはなんにもなくなってしまうのです。なんにもなくなるとおじいちゃんの村です。

 おじいちゃんがおじいちゃんの土でできた家から出てきて、手をふってぼくらを読んでいるのがいつも見えました。

 おじいちゃんの村はあまり雨が降らないので、おいしいものがたくさんとれませんが、おじいちゃんは村で一番おいしいものをぼくらのために出してくれました。

 おじいちゃんの村で一番のごちそうはサバクアリクイです。なのでぼくらがついたその日は、サバクアリクイのステーキでパーティをします。

 でもぼくはサバクアリクイのステーキよりも、アリのみつのほうがずっと好きです。女王アリのためにおなかにパンパンにみつをためて透明になっているアリのお腹を歯でぷちゅっとつぶしてみつをすうと、とっても甘い味が口の中にひろがってしあわせになります。ぼくは皿いっぱいになって並んでいるアリをほとんどぼくだけで食べてしまっておじいちゃんにわらわれてしまいました。

 でも、こんなごちそうはめったに出ません。おじいちゃんの村は、すごく向こうに見える白い山までずっと岩ばっかりで、なんにもありません。生えている木も、地面にへばりついているトゲみたいな葉っぱのものだけで、とても食べられるものではありません。

 そんな村で一番働き者なのは人間じゃなくて、じつはアリです。アリたちは、そんなかたくて食べられない葉っぱを地面の下にあつめて、くさらせて、キノコを育てているのです。そしてそのキノコを食べて生きているのです。

 ぼくはおじいちゃんに、「おじいちゃんたちもアリを見習って生きていけばいいんじゃない?」と言ったことがありますが、おじいちゃんはただ笑っているだけでした。

 あつい昼のあいだ、人間はまどもない家の中でずっと昼寝をし、夕方になると起きてきて、夕焼けのほうに村からちょっと歩いたところにあるアリの巣をほり、キノコをちょっともらいます。ぼくは人間はなまけものだと思いました。そして「アリさんがかわいそうだ」と言いましたが、やっぱりおじいちゃんは笑っているだけでした。キノコを全部とってしまうと、アリがこまってしまうので、全部は取らないのだそうです。

 それでもぼくがなっとくできない顔をしていると、おじいちゃんは、「いつか自分たちもアリへ恩返しする」と言いました。そのときはどういうことか、ぼくには分かりませんでした。

 アリが育てたキノコだけじゃなく、アリも食べます。アリの巣はちょうど人が一人すわってるくらいの大きさに地面から盛り上がっていて(アリ塚と言うんだそうです)、まわりにいくつもいくつも、まるで小さなビルのならんだ小さな大都会みたいにならんでいます。その中でアリがたくさんはたらいています。その中に木の棒を入れると、たくさんアリがひっついてきます。それをプチプチ食べるのです。さいしょは口の中でもぞもぞするのが気持ちわるかったけど、ちょっとすっぱくておいしいのですぐになれました。

 巣の中に入れる棒は、家族一人一人違っていて、だれかのをかってに使うと怒られます。ぼくの棒も、一年に一回しか使わないのに、いつも大切にしまわれていて、ぼくが着くとおじいちゃんがわたしてくれるのです。

 そんな風に、おいしいものじゃなければ、はたらかなくても食べるものがとれるので、村の人たちはみんな本当になにもしません。一日中地べたに寝て、ずっと向こうに見える白い山に生えているという、神さまの葉っぱをくちゃくちゃかんでいるだけです。それをかんでいると、あつさが気にならなくなるんだそうです。

 ぼくもおじいちゃんに言われてかんでみましたが、ただ苦いだけで、ものすごくまずくてとってもいやでした。でもおじいちゃんがしつこいのでずっとかんでいると、だんだんとおなかの中があったかくなってきて、元気になってきたような気がし、おじいちゃんに学校であったことを、はずかしいことやひみつのことまでいろいろとしゃべってしまいました。

 ぼくはおじいちゃんにわかる言葉でしゃべらなかったので、おじいちゃんにはわからなかったと思うのですけど、おじいちゃんはうれしそうに笑ってうなずきながらぼくの話をきいてくれました。

 でも、その葉っぱをかんでいる所をお母さんに見つかってとりあげられてしまい、それっきりでした。お母さんはその葉っぱのことでおじいちゃんにかなりおこっていましたが、お母さんはおじいちゃんの言葉があまりうまくないので、おじいちゃんはわからないふりをして知らない顔をしていました。

 ぼくたちが行くのはいつも雨がふらない季節のさいごのほうです。雨が振ると、土の道路がぐちゃぐちゃになるし、それまでなにもなかったところにいきなり川ができるので、とっても大変なんだそうです。だから、雨が降らないうちにいつもかえってしまいます。

 でも、前の前の年は雨がくるのがいつもより早くて、空にはあいかわらず雲ひとつないのに、砂をまいあげる風がなんだかしめっているような気がしたり、どこかとおいところから気のせいのようなゴロゴロというかみなりの音が聞こえてきたりしました。お父さんとお母さんはラジオを聞いて、急いでかえる準備をしたり、いつもは使わないえいせい電話で飛行機の予約をしたりしていました。

 ぼくははじめてのことでわくわくしていました。雨が降るとぜんぶ変わる、と前からおじいちゃんに言われていたからです。すこし高い丘に登ると、とおいところに真っ黒い雲がもくもくとわきあがっているのが見えました。ピカリと光るのも見えた気がしました。きっとあの下では雨がザンザン振りに振っていると思うと、なんだかあそこまで走って行きたくなりました。

 すると、いつのまにかおじいちゃんが後ろにいて、ぼくとおなじほうを見ていました。そしてぼくに見せたいものがあるからついてこい、といいます。

 ついていくと、村からアリの巣とは反対方向の、いままで来たことのない場所に、村の近くでは見たことがないような高い木が生えていました。

 その木は、ふつうは地面の下にあるはずの根っこがまるで校庭ののぼり棒みたいに地面の上につき出ていて、太いのだと人間くらいの大きさでした。おじいちゃんは、自分たちはこの根っこがぽきりと折れて歩きだして生まれたんだ、と言いました。だから、死んでかんぜんに地面に帰かえったあと、またこの根っこになるんだ、と言いました。

 ぼくはそういうものなのかな、と思いました。

 おじいちゃんは、その根っこをつかんで自分の体をもちあげると、こんどは上から手を伸ばして、ぼくの体を上にひきあげてくれます。そしてするすると、ビルくらいある高い木のてっぺんにぼくを連れてきてくれました。

 「子どものころ、おじいちゃんのおじいちゃんにここに連れてきてもらってから、ここがずっと好きなんだ」

 おじいちゃんはそう言いました。

 そこからだと、ずっとむこうでビカビカ光るかみなりが、もっとよく見えました。そしてだんだんとその雲がこちらに近づいてくるのも分かります。すごいいきおいです。雲の下はかすんでしまって、もうなんにも見えなくて、なんにもわからなくなっています。お父さんとお母さんが急いで逃げようとするのも分かります。

 でもぼくはなんだかうれしくなって、

 「うわあ!」

 と叫んでしまいました。

 すると、おじいちゃんはひとさし指と中指をくちびるに当て、「シュッ」といいます。しずかにして、という意味です。お父さんやお母さんにないしょでなにかおもしろいことをするときに、おじいちゃんはこれをします。

 ビカッ!!

 とおくで、でもいままでよりもずっと近くで、もう歩いていけそうな場所で青い光が走りました。すると、僕たちのまわりで、

 ビカビカッ!

 とつぜん幾つもの青い光がいくつも走ったのです。ぼくはびっくりしました。びっくりしていると、

 ゴロゴロゴロゴロ!!

 と、カミナリの音がすぐ近くでなっているみたいに聞こえてきます。すると、またあの青い光がまわりで、いくつも走り回ります。

 こんどはぼくにもなんだかわかりました。数えきれないほどの光る虫が、木の中から出てきて飛び回っています。

 「カミナリホタルはかみなりの子ども。ずっと木の中で寝ているが、かみなりがなると起きてきて、一緒にビカビカ光るんだ。そして急いで子ども作って、地面にたまごをうんで死んでしまう。雨の中で子どもは育って、雨がやむまえに急いでおとなになるんだ」

 おじいちゃんはそう教えてくれました。

 「さあ、早く帰らないと、大変なことになるぞ」

 けっきょく、僕らが家についたときにはもう前が見えないほど雨が振りはじめていて、ぼくはびしょぬれ。いそいでお父さんの車に乗って、村から離れました。

 どしゃぶりの大雨の中でかすんでいてもおじいちゃんが手を振って、ぼくらを見送っているのがぼくにはみえました。

 次の年、村へ行くと、おじいちゃんはすっかり変わっていました。ぼくのこともお父さんのことも分からないみたいでした。何を言っても、どこを見ているか分からない顔で、うれしそうに笑っているだけです。ご飯ももう自分では食べられなくなっていて、おばあちゃんやお父さんが食べさせました。ぼくもその手伝いをしました。でも、食べさせても、口の中からぽろぽろと食べかすが落ちてしまいます。お母さんはそれを見てすごく嫌な顔をしていました。

 おじいちゃんは、今までよりもさらに一日中なにもせずに、ただ笑っています。ある日かってにどこかへ行ってしまい、家族や村の人たちでさがしまわりました。おじいちゃんは、いくつもならんだアリの巣の中にまじってすわっていました。村のみんなはおじいちゃんの口の中を見ます。すると、ちょっとしかのこってない歯のすきまからアリがぞろぞろと出てきました。ぼくはおじいちゃんが食べようとしたアリだと思いました。でも違うのです。村の人たちはおじいちゃんの頭の中にアリが巣を作っていると言いました。

 ぼくはそのときはじめて知りました。ずっとアリを食べていると、食べたアリのいくつかが体の中で生きていくのだそうです。そしてそのアリの中の一匹が女王アリになると、ほかのアリに言うことを聞かせるために、しあわせを出します。そのしあわせが頭のなかにいっぱいになって、今おじいちゃんはとってもしあわせなんだそうです。

 そしてこれもはじめて知ったのですが、このアリの巣はじつはお墓だったのです。おじいちゃんはそのとき、おじいちゃんのお父さんや、おじいちゃんのお母さんや、おじいちゃんのお兄さんや、おじいちゃんのおじいちゃんにかこまれてすわっていたのでした。みんなこの村でアリを食べつづけ、頭の中がアリの出すしあわせでいっぱいになって、そこでアリ塚になったのです。この村の人たちはみんなそうなるのです。つぎはおじいちゃんの番なのでした。

 おじいちゃんはとってもしあわせそうでした。なんだかむかしのことを思い出しているみたいに、青い空を見上げていました。もしかしたら、おじいちゃんのお父さんや、おじいちゃんのお母さんや、おじいちゃんのお兄さんや、おじいちゃんのおじいちゃんのことを思い出しているのかもしれません。

 村の人たちはこのままにしておこうと、村に帰っていきました。お父さんとお母さんとおばあちゃんも帰っていきました。さいごにはぼく一人だけが、おじいちゃんを見ていました。

 太陽がひくくなって、空と地面が燃えているみたいに真っ赤になります。おじいさんの口や鼻や耳や目を、何匹ものアリが出たり入ったりするのが見えました。東の空が学校の花壇で育てているスミレみたいなこいむらさき色に変わっていきます。でもあのとき見た空のほうがずっときれいでした。たぶん、ずっとわすれません。

 きづくと、おじいちゃんはもうなんにも見ていませんでした。さわるとボロリとはしっこがくずれます。おじいちゃんは地面と一つになっていたのです。ぼくは家に帰りました。

 次の日、ぼくはぼくの棒をおじいちゃんの耳の穴の中に入れて、アリを食べました。とってもおいしかったです。

 もし先生がおじいちゃんの村に来たら、おじいちゃんのどこに棒を入れればたくさんアリがとれるか、おしえてあげようとおもいます。

解説

ソマリランドのルポルタージュ『謎の国家ソマリランド』(高野秀行著)を読んでいたときに唐突に思いついた。

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