戯談清談怪談
説話天下間。奇々怪々的事。有令人見所未見。聞所未聞。即如山海的飛頭国。尽非出於無因。我今説出一人最奇怪的来。読者請看。
拗くれた松ばかり目立つ簡素な庭を、月が瑠璃の甍影で妙に鮮やかに区切る夜、珊瑚の産卵でもあるまいに、なぜそういう決まりになったのかはとんと思い出せない月に一度の満月の集会日、日泰寺に程近い旧家の濡れ縁に卓子を出して、集会とは名ばかり、陰気な寂しい男が二人、近所の泰料理屋で買い受けた泰風焼きそばをつつきながら、麦酒を注ぎ交わす洋盃から吹きあふれた歓談の泡をしゃぼん玉様に口角から飛ばしつつ、当人たちは清談と称している単なる奇談怪談の奇怪な花を咲かしては散らし、おやおやどうやらこの花は種無しらしい、何の収穫も得られやしない、なんのなんの、話の種になればそれで十分、他に何を望むというのやら、と笑いあう。まるでこの夜は明日に繋がっていないとでも言わんばかりの、余分で行き止まりな夜更けだ。
「何か面白い話はあるかね?」
何度目かももう覚えていない私の言葉に、李は口の周りの泡を手首でぬぐいながら、まるで初めてその問いを聴き、しかもその問いをずっと待っていたんだというように、身を乗り出す。
「お前、志怪小説は好きだろう?」
「ああ。嗜む程度だがね。なんだ、その手の話なのか?」
「まあな。聞くか?」
「物による」
「おいおい、聞く前にどうやって、判断するんだ、そんなこと」
「では、一つ質問させてもらおう。お前が今から話す話とやらは本当にあったことなのか」
「ほう、こいつぁ意外。お前がその手の無粋な事を気にする輩だったとは」
「別にさほど気にしているわけではない。ただ、述べて作らず、が志怪小説の建て前。その建て前あってこそあの、落ちも教訓も、それどころか意味すらどこかのローカル線の網棚に置いてきたと思しき代物が楽しめるという寸法だ。だからこそ、お前の話が、建て前としては本当の話かどうか気になるというわけさ」
「それだったらお安い御用。その手の建前の本当だったら佃煮にするほどある。欲しいだけ持っていけばいい。ところでだが、あの手の話で、蛇やら柳やらの精と、契りを結んでしまう男が、時々出てくるだろう」
李はまるで講談でも始めるように、座布団の上で居住まいを正して話し始める。松涛が耳を擽るのを感じながら、私は寝っ転がってその話を聞く。この夜の中、私以外に耳を済ませているのは、中天に差し掛かろうとする月と、その月が写りこんだ池から今しがた這い出してきた、甲羅を白銀に輝かす亀くらいなものだ。
「あれで、時々子どもまで作ってしまうものがある。お前、ああいう話を読んで、疑問に思ったことはないか。種の壁というのは、そんな蕎麦屋の暖簾みたいに気軽に越えていいものなのだろうかと」
まじめな顔をしてそんなことを聞いてくるものだから、私は思わず噴出してしまう。
「いいや、正直まったくないね。大体俺は、ギルガメッシュ叙事詩を読んでも、『3分の2が神で、3分の1が人間』という文言に一切疑問を持たないくらい、物事に疑問を持たないたちでな」
「だからそれはギルガメッシュが三倍体だからだと、以前言ったではないか。魚類なんかでは、三倍体の個体が巨大化することが多いから、ギルガメッシュの非常な強力もそれで説明できるかもしれないな」
「気分を壊す無粋な説明だな」
「この程度で壊される気分が悪い、と王戎ならざるとも言うところだ。お前のせいで、話がずれてしまった。こんな調子では枕で話が終わってしまう。本題に入らせてもらうぞ」
「どうぞどうぞ」
「あるところに男がいた。ひどく平凡な男だ。大学を出て、商社に入り、数年外回りの営業で足を棒にした後、自分に管理される人間よりも自分を管理する人間のほうがよほど多いような名ばかり管理職についた」
「ほうほう、それでそれで」
「そんな彼にも春が訪れる。会社の同僚の紹介で知り合った女性と、付き合い始めたのだ」
「ふむふむ」
「それが、そんな人並みはずれて平々凡々な彼には似つかわしくない絶世の美女、立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花、などとは言うが、その姿は例えるなら手事物の地歌に歌われる儚い罌粟の花。それもその肌の美しさ輝かしさたるや、一点の曇りもなき純白の罌粟。そして罌粟の果実が未熟なうちに刃で傷をつけ、染み出たどろりとしたこれまた白、もしくは少し血が混じったような白濁の樹脂が、阿片だ。『本草綱目』ではこれを、阿芙蓉、阿片、鴉片、と記し、名義未詳としているが、この、阿芙蓉、というのは明らかにアヘンを意味するアラビア語afyunの音訳だ」
「おいおい、自分で話をずらしてるぜ」
「おっとすまん。とにかく、この阿片、一茎一果、慈悲の乳漿凝って喫すれば蝋縛の即身成仏、あらゆる濁世の苦しみからも身を焦がす煩悩からも解脱し、たちまち涅槃に至ることが……」
「だから、それが脇道に入ってると言ってるんだが。トリストラム・シャンディのパラドックスに悩まされないうちに、さっさと本題に戻ってくれよ」
「いやいや、それがどうしてなかなか本題なのだ。とにかく、まるで阿片が脳の皺に染み込んで、人間の判断能力を麻痺させるように、すぐにその男は女の虜にされていったんだ……
彼女は物静かで、あまり目立たない印象だったが、よくその顔を見れば、まるで匠が彫心鏤骨して精魂を吹き込んだ人形のように整った顔立ちをしていた。かと言って、決して冷たい印象を与えるわけではなく、普段はうつむきがちで、前髪の影に隠れているその顔を起こして莞爾として微笑むと、男は背筋が痺れて、全身の力が抜けるような戦慄きを感じてしまうのだった。
初めて合ったとき、女が何歳なのか、男には皆目見当もつかなかった。ものすごく幼いように見える瞬間もあったが、白い肌を際立たせるためなのか、まるで葬式にでも行くような漆黒の服は、リボンやフリルで山盛りだったが、それでも衣服の下の豊満な彼女の肢体は隠せていなかった。それに魅力を覚えてしまう自分を懸命に恥じて、目を反らそうとする男の手を、女は出し抜けに両手で包んだ。そして驚いて、思わず彼女を見つめる男の視線を、男が何をそんなに慌てているのか不思議そうに首を軽く傾げて、無邪気に見つめ返す。そのパシュトゥーン人のようなターコイズの瞳に、男はたちまち魂を抜かれてしまった。
男は硬い人間だったので、一年もしくはせめて半年の間はときどきただ食事をするだけの関係を、と思いながら、結局すぐに深い関係に落ち込んでしまった。寝ても覚めても、生クリームのような白い肌や、見る角度によって色が変わるような不思議な光沢を持つ、まるで輝く闇のような長い黒髪が思い出され、とても仕事なんか手がつかない。前に彼女にあったときの彼女の表情や仕草を思い出し、次に彼女に会うときはどうだろうかと想像して、時間が過ぎていった。もう彼女なしでは生きていけない体にされてしまっていた。
彼女と会うたびに、彼は選びに選んだ贈り物をし、彼女があまり気に入ってないと思うや、すぐさま別のものを買ってきた。甘味好きな彼女のために、日帰りで行ける全ての甘味処を調べ周り、危うく糖尿が出るところだった。遠い場所からは、どんな高い送料を掛けても取り寄せ、恭しく彼女に奉納した。仕事も捗らず出費はかさみ、あっという間に破産の危機である。
唯一の解決策として、彼らは結婚して、ローンを組んで手に入れた一つ屋根の下に暮らし始めた。
彼は幸せの絶頂に上り詰めた。それにより、実際全ての歯車が組み合い、悪循環が逆転した。
彼女のために仕事をし、人より多い仕事を定時にこなして、まっすぐ家に帰り、妻との甘い至福の時間を一晩中過ごした。彼を知る人間は皆、第一子の誕生も時間の問題だろうと思っていた。
そんなある日だった。未だ新妻への愛情は翳る景色も見せていなかった。そんな彼が、同僚の誘いを断りきれずに久しぶりに酒を酌み交わし、囃したてられながら一足先に帰路に着いて、駅までの途上にあるあまり世間一般の評判の芳しくない傾城町を一人急ぎ足で歩いていたとき、彼はその女に出会ったのだ。
妻のことしか考えていない彼には、そもそも通行人の存在など目に映らないはずだった。しかもただでさえ、彼にとって網膜に触れるのも忌まわしい景色や一齣に満ちた通りである。にも関わらず、その女は不思議に気を引いたのだ。
最初はいかにも街頭に立って男の袖を引く夜の蝶という印象だった。街灯に寄りかかって、派手な真っ赤なミニのワンピースからすらりと伸びた長い脚を軽く組み、つま先から踵の尖ったやはり真っ赤なミュールをぶらぶらさせてながら、マニキュアを塗った爪を弄っている。
しかしよく見れば、化粧は必要最低限に抑えられているのに、顔立ちは見るものをはっとさせるほどはっきりしており、また、道行く男に秋波を送るときに半ば目を閉じると驚くほど長いことが分かる睫毛が胸に突き刺さる。
妻とは全く正反対であり、今まで絶えて魅力を覚えたことのないタイプの女性だったが、なぜだか目が離せなくなる。ざわついた街の物音が砂浜に水が吸い込まれるように引いていき、自分の心臓の音ばかりが耳に痛い。彼女だけが風景の中に浮き出て、ほかの全てはぼやけて、ほとんど水面に移った景色だ。突然ゆっくりと流れ始めた時間の中で、彼女が徐にこちらを振り向く。そして自然に目が合って、何も言わないうちに全てを理解したようにウィンクをすると、嫣然とした笑みを浮かべ、街灯から背中を浮かせてすっくと立ち上がる。夜空のようなラピズラズリの瞳が、正面から男を後頭部まで突き刺す。
女は優雅な手つきを男にさしだし、白魚のような長い指で男の顎を撫で上げる。すると、電撃が脊髄を駆け上り、脳幹を突き上げ、松果体にあるカルテジアン劇場を揺さぶった。女はそんな男の様子を面白そうに眺めながら、顎で路地の奥を指し示すと、くるりと踵を返して、一度も振り返らずに歩き始める。ぎらぎら輝く大きなイヤリングがまるで自分の耳元で鈴のように鳴ったかのように感じられ、男はもう魔法の中。近くで見ると全くの天然物であることが分かる太陽の光を撚り合わせたような金髪に鼻先を擽られ、男はふらふらと夢遊病者のように彼女のあとについていってしまう。
彼が自分が何をしでかしたかに気付いたのは、しでかし終わった後であった。
当たり前だが、彼はひどい後悔に苛まれた。その日、彼は罪悪感によって、妻の寝息を傍らに感じながら、眠ることすら適わなかった。次の日の朝、どれだけ彼女の前に跪き、滂沱の血涙を流しながら、懺悔しようと思ったことか。しかし、いざ改まって話そうとしても、妻が柳眉を訝しげに寄せただけで、舌が喉の奥で絡まってしまい、言葉が出なくなってしまった。
彼は仕事をしていても、何回も何回も痛悔と自分への失望を繰り返した。しかし、それは実のところ何回も何回も、あの生まれて初めての罪深い行い、あの甘美な過ちを思い出すことにほかならなかった。
そうして彼はその後、足繁く悪所へ通うようになったのだ。理性も感情も全てがその行いを弾劾したが、全身と全霊が真二つに引き裂かれてしまったこの哀れな男の意思は、肉を焦がして炎と燃え上がる灼熱の誘惑の前に日々脆くも崩れ落ち続けた。嗚呼、畢竟我々は無数の双曲線に翻弄される存在に過ぎないのか。
彼は、身体の奥深くから沸き起こるコントロールできない欲望に突き動かされながら、女の歓心を買おうと、妻の趣味とは正反対の派手で高価な贈り物をし、妻に対するのと同じ熱烈さで愛の言葉をささやいた。しかし、彼女は性格まで妻と正反対で、贈り物が気に食わなければ、その場でぽいと投げ捨て一顧だにせず、気が乗らないときに男が愛を語ろうものなら口汚く罵り、足蹴にする有様だった。
それでも男は、彼女が少しでも自分に笑いかけてくれるように、彼女に少しでも長い間見つめてもらうために、人間の尊厳を投げ打って努力をするのだった。
その間、妻にはそのことを決して語らなかったし、妻が事の次第を察せられないための努力も怠らなかった。
しかし、これは彼自身にも到底理解できなかったことなのだが、各の如き二重生活を送りながら、彼の妻への愛情は、全く衰えを見せず、否、それどころではない、むしろさらに燃え上がるほどの有様だったのだ。
彼が世間に隠れて愛人との逢瀬を重ねれば重ねるほど、彼は妻へのすでに崇敬の域へ達そうという愛を深めていった。社用の出張先で愛人と落ち合って、まるで新婚夫婦の蜜月のように一日中睦みあったその次の日、玄関先で自分を迎えてくれた最愛の妻を、数日間会えなかった寂しさを心の底から感じながら骨も折れよと抱きしめた。
妻も、またその愛に応えた。
男は、ことあるごとに、妻が自分の裏切りに気付いているかどうか確かめようとしたが、妻はまるで彼を疑っていないようにしか見えなかった。
安心していいのかどうか分からないまま、自分が何を考えているか分からないまま、この危うい関係があとどのくらい続くのか何の見当も持てないまま、男は愛欲の沼へとどこまでも沈んでいく。
しかし全てのものに終わりが来るごとく、この奇妙な三角関係にも突然終わりが来た。
それは非常に単純なことだった。妻が妊娠したのだ。
同僚たちには遅すぎるように思われたこの天からの贈り物に、男は涙を流さんばかりに喜んだ。男の心から、突然霧が晴れ、迷いはきっぱりと断ち切られた。少々情が薄いかとも思ったが、その後ぱたりと色町に寄ることはなくなったのだ。また仕事が終わるや否や、妻の待つ家へと急ぐ日々が帰ってきた。
もちろん胸の中では、後ろめたさが燻り続けていたが、ただでさえ体にも心にも負担が掛かりやすい時期に、そんなことを告白するわけにはいかない、と自分に言い訳しながら、9ヶ月間が過ぎ、妻は無事に、たまのような女の子を出産した。
回る因果の糸車、そのときから、男の猜疑の日々が始まったのである。
子どもは彼に似ていなかった。ただ単に妻により似ているだけだ、と思い込もうとした。しかし、その赤ん坊の顔には、自分以外の誰かの面影が確かにあるような気がしてならなかったのだ。それが誰かは思い出せず、もしくは思い出すことを彼の脳が拒否しているのだが。
疑惑の芽は日々すくすくと成長し、毒々しい色をした奇怪な花を、確信として彼の胸に花開かせた。
しかし、それでも彼には妻が自分を欺いていたとはとても思えなかった。あの日々の間、確かに彼は家を空けがちだったし、彼がよその女と密会していた間、妻にもいくらでも間男を引き込む時間はあったかもしれない。しかしその間彼は、自分の所業を棚上げして、彼女を厳重に監視し続けていたので、その様なことは不可能だったと、断言することができたのだ。
疑心暗鬼の捌け口が見つからず、日々悶々としてすごしていた彼は、ある日、傍目には意味不明なことをはじめた。あの女にもう一度会おうとし始めたのだ。
彼女はあの通りにはいなくなっていた。下手な変装をして同業者の女や街角のポン引きや女衒などに聞き込みを行ったところ、子どもを孕んだので仕事をしばらく休むといって、音信不通の行方知れずだと言う。
しかし、男は言い知れぬ胸騒ぎに突き動かされながら、女を捜すのをやめない。
最後には、かつての日々そうしたことがあるように、会社には有給を申請し、妻には出張だと嘘をついて、風の噂を頼りに、女を捜すちょっとした小旅行にまで出たのだ。
何足もの無駄足を踏み、何本もの無駄骨を追った後、なぜか足が向いたのは、背徳のランデブーを繰り返した、思い出のとある奥座敷だった。
そこで彼は彼女を見かけた。
彼女は赤子を抱いていた。
遠目でも、すぐさま彼は理解した。妻が産んだ赤ん坊が誰に似ていたのか。
というのも、今目の前に立っている女が抱いている、可愛らしい乳飲み子が、妻に瓜二つだったのだ。
……と、いうわけだ」
最後の部分だけ、いやにもったいぶって言い終わると、李は唐突に話を終えてしまう。
「それで終わりなのか」
「ああ、終わりだよ」
ずっと喋っていて口が渇いたのか、気の抜けた麦酒をぐいと飲み干して、ぐいと唇をぬぐった。
「それで、感想ご意見があればなんなりと」
「そうだなあ。今思い出したんだが、トリストラム・シャンディのパラドックスは自伝の場合にしか起きなかったよな。濡れ衣を着せてすまんな」
「何の話だ。なんか、この話に関して、疑問点はないか、と聞いているんだ。なんか語られきっていない重要な謎があるかもしれないだろ」
身を乗り出して、そうまくし立てる李に、私は少々鼻白む。
「俺は相手が訊いて欲しくないことは訊くが、相手が訊いて欲しくて堪らなさそうな訊かない方針なんだ。もしお前が、どうしても訊いて欲しくないと心から言うんなら、考えてやらんでもないが」
「また難しいことを言う。どうせ謎解きが出来ないから、うやむやにしようとしているのであろう」
「下種の勘繰りに痛くもない腹を探られても面白くない。おもしろきこともなき世をおもしろくするために、この会を始めたのに、そんなのはつまらないから、その謎とやらを、一房解きほぐしてやろうじゃないか」
李は居住まいを正して、私をまっすぐ見る。
「ほう。それではお手並み拝見と行こうじゃないか、淡中氏よ」
「語り手の悲しい性と言おうか、なんと言おうか、語りに謎を仕掛けるときに、俺たちはいつだって、アンビバレントな状況に追い込まれる。それは、そう簡単に謎を解いてほしくない、という感情と、でも謎を解くための材料は十分に与えないといけない、という義務感だ。そういう意味で、あんたは物語を始める前から語りすぎてしまっているんだよ」
李の、一体何の話だ、という訝しげな表情を横目で楽しみながら、私は話を続ける。
「そもそも、少しも志怪小説ぽくはないこの話の枕に、なぜ突然蛇や木の精の話が出てくる。ヒントを十分出しておかなくてはと焦るあまり、それを肝心の話の外に配置してしまうなんて、お話にもならないね。どうせ、それを誤魔化して枕を忘れさせるために、無駄に話を艶っぽく修飾したのであろう。下品で底が知れるね」
「おいおい、批評は良いから、さっさと謎を解いてくれよ。解けるものならね」
「簡単さ、そんなもの。つまり、この二人の女性は、人間ではない。何か植物的な生き物なのだろう。お前の語りが表現できているかは不明だが、さぞ植物的で非人間的な美しさを湛えていたのであろうな。そんな彼女たちが尋常な、それこそそんじょそこらの男の種を宿すはずもあるまい。宿すなら同族の、何か花粉的なものによってだ。男はそれの運び屋にされてしまった、というわけだ。まあ、お前の創作に一つ美点があるとすれば、夜の蝶を捕まえたと思った男が、実は妖しい寄生蘭に幻惑された蝿だったという皮肉だね」
最後まで言ってしまうと、李は口惜しそうに口を引き結んでいたが、最後に念のために入れておいたお世辞が功を奏したのか、最後にはまんざらでもなさそうな表情になっていた。単純な奴だ。
「言い当てられちゃ、仕方がないな。次はもう少し、語り方に工夫をするか」
と一人感想戦をはじめる李を横目に、私は肴に箸を伸ばそうとする。が、
「おい、焼きそばがもうないじゃねえか」
虚空を彷徨うしかない箸先の置き場所に困って、私は箸を投げ出すと、落ち着けっぱなしだった重い尻を持ち上げる。
「おい、どうした」
「散歩がてら、そこのミニストップで酒の肴を見繕ってくるよ」
「散歩は体に悪いぞ。髪の毛が抜けて体中が痒くなるうえに、熱を発散するために、しっかり歩き回らないと死にかねないからな。かつて世の乱れとともに散歩の流行が猖獗を極めていた支那では、一説によると三世紀から八世紀の間に数百万人もの死者を出し、中には東晋の哀帝のように、皇帝の座にありながら……」
「分かった分かった。幸か不幸かお前の言うような古式ゆかしき本式の散歩じゃないから安心しろ」
「そうか。それなら俺にも何か面白いものを買ってきておくれよ」
「コンビニにそう簡単に面白いものが売っていてたまるか。それこそ末世だ」
「じゃあ、歩きながら、次の面白い話を考えてきておくれよ。俺の話が下品というなら、なにか上品で高級な艶話を一丁頼む」
「また出前か何かみたいに気楽に言いおってからに」
いい捨てて、下駄を突っかけながら、庭の通用口から出て行こうとする私だが、そうは言い条、売られた勝負は買わざるを得ない心情も持ち合わせている。戸を空けて、出る寸前に振り返りながら、
「こんなのはどうだ」
と切り出した。
「南海の帝を倏といい、北海の帝を忽といい、中央の女帝を混沌といった。倏と忽は混沌の地でときどき会った。混沌のもてなしがとても行き届いていたので、二人はお礼をしようと思い、相談して言った。
――人間の体には、目耳鼻口はじめ、いくつもの穴があるが、彼女には全くない。我々で協力して穴を開けてあげようではないか。
こうして二人は、図太い棒を使って、ズッコンバッコン彼女の体に穴を空けまくり、全ての穴を開け終わったあかつきには、彼女は死んでしまった、ということだ。てっぺんぐらりんどんとはれとっぴんぱらりのぷう」
一気に言い終わって李を見ると、なにやら呆れた面持ちでこちらを見ている。
「お前のほうが下品じゃねえか。馬鹿なこと言ってないで、さっさとチーズケーキを買って来いや」
「何を言う。フェミニスト批評の格調高きパロディじゃないか」
と冷たい言葉を背中で受けながし、かんらからからと呵呵大笑しながら私は坂道に下駄を鳴らして歩みだした。夜空を仰げば、相変わらず満月は中天にあり、私は時間感覚を失くす。まるで、月の上から天空の同じ場所に張り付いて満ち欠けを繰り返す地球を眺めてでもいるかのような気分だ。そうか永遠に続く「大いなる正午」とは真夜中のことであったかと、特に意味のない一人合点をした途端下駄の歯がぽきり折れて、私は坂道を盛大に転げ落ちていった。